春になると田圃一面に花が咲いて、春を実感させます。
昔は田舎に行くと、どの田圃にも絨毯のように咲いていたものです。
それはそれは何とも形容しがたい桃源郷のような、夢のような光景です。
敢えて言うなら、一度死にかけた人にしか分からない光景でしょう。
もうダメかと思ったそのとき、暗いトンネルを抜けると辺り一面にお花畑が。
温かい雰囲気に包まれて、うっとりとし、さらに先に進みたくなります。
するとお花畑の向こうになぜがもう亡くなっている人の姿が見え、おいでおいでをしています。
この向こうにはもっと綺麗なお花畑があるんだろうなあ、と思いながら進んでいこうとすると、何かが行くなと引っ張っています。
はっと我に返り、周りを見るとそこは病院の集中治療室。
ってな感じです。
敢えて言ってみました。私にはまだ分からない感覚です。
それほどにのどかで綺麗なレンゲ畑に座り込み、花を摘んで冠にしたりして遊んだものです。
レンゲには良質の蜜もあり、ミツバチが蜜をよく集めています。
ハチも自分や巣が攻撃されない限り、攻撃してきませんから、目の前には違いようとおかまいましです。
この季節には、ある仏教において「甘茶祭り」というお祭りがあります。
「お花摘み」といって、自然の野花を摘んで甘茶を入れている台を飾りつけます。
このときレンゲも大活躍です。
レンゲとは蓮華と書きますが、これは蓮(はす)つまり、レンコンのことです。
蓮はお釈迦様と強く関わりがありますから、レンゲも何か因縁があるのでしょう。
勘違いされている方もおられるかもしれませんが、「因縁」とは仏教から来た言葉で、何か原因があって、それにより結果が生ずることとか、由縁とかという意味です。
ですから “因縁をつけられた” とかというように悪い意味ばかりではありません。
線香の香りと、花の香り、甘茶の香りでなんとも厳かな気持ちになると同時に、心が落ち着いてきます。
レンゲはヤギの餌としても最高です。
花も種も大好物です。
若葉は柔らかく、おひたしにしても美味しそうです。
でも食べたことはありません。
食べられるかどうかも分かりません。
レンゲの花が咲く前から、田圃の端からヤギの餌用に刈っていくと、ある程度進んだ頃には、始めに刈った場所に新しいレンゲが生えています。
レンゲが二度利用できるのです。
でも二度目のレンゲは刈ってはいけません。
もう生えてこなくなります。
といいつつもまばらに刈っていましたが。
来年には周りの種から生えてくるので心配は要りません。
レンゲは実に見事に農業にとけ込んだ植物なのです。
全く無駄というものがありません。
感心するばかりです。